雲一つない空の下を移動して、午後からのパートの休憩室にいます。
今日の弁当は日持ちの関係で、とくに好きではないおかずばかりにしたけれど
ひとつくらい好きなものを詰めてくればよかったかもと、少しばかり後悔しています。
昔、友人から贈られたかなり良いティーカップを、ずっと箱のままクローゼットに
しまい込んでいました。
もともとあまり紅茶を飲まないし、使っているうちに欠けたり割ったりしそうで
普段使いする勇気がなかったのです。
それでもそのカップは上等な品なので、断捨離のたびに生き残って
住む場所を移っても、いつも収納のどこか片隅に置いてきました。
それが先日、たまたまルピシアの紅茶の頂き物があって、家で飲むときに
(せっかくのちょっといい紅茶なのに、いつものズドンとした100均のマグカップで
飲むのはいかがなものか…)
という考えが急に湧き、それと同時にしまってあったカップを思い出したのです。
せっかくなのでそのカップを取り出して洗い、紅茶を入れて飲んでみると…
紅茶は普通に美味しかったのですが、カップに紅茶を入れた佇まいが
何だか、とてもいいのです。
白地に青い花のカップに紅茶の色が映えて、上品な感じ。
今まで白い紙にずっと包んで箱に入れたまま、しまい込んでいたのが
申し訳ないというか、もったいない気持ちになってきます。
使うために作られたものを全く使わずにいるのは
『保管』じゃなくて、『死蔵』なんだと気が付きました。
大事なものほど使わずにしまい込んでしまう癖を長年放置してきたけれど
道具として使えるものは使い、飾れるものは飾るようにしたほうが
良いんだろうなと改めて思います。
飲み終わったカップは丁寧に洗って、また紙に包んで箱に入れましたが
ときどき出して使うつもりです。