これまでほとんど書いたことが無かったけれど、私は22歳で実家を出てから
母が末期の膵臓がんになって、付き添いで2ヶ月ほど滞在した以外
普通に帰省したのは、10回にも満たないです。
そのことで、弟達から「何故もっと地元に帰らなかったのか」と以前
たしなめられたことがあります。
弟達との仲は悪くなかったけれど、両親とは正直なところ、あまり
上手くいっていませんでした。
父親は娘息子全員、平等に可愛がらなかったけれど
母親が可愛がらなかったのは私だけだったから
弟達のように地元に残る理由も無かったし、わざわざ高い交通費を掛けて
帰省する必要も感じられなかったのです。
でも、男兄弟というものは一緒に生活していても、私と母との軋轢には
気が付かなかったようでした。
とくに暴力や虐待があるわけでも無く、言い争いをするのでもなければ
他の兄弟の目には、何の変哲もない親子関係に映ったかのかもしれません。
しかし、母の私への態度は、いわゆる『塩対応』というモノでした。
塩対応…そっけない、愛想のない、冷淡な接し方を指す言い方。
いわゆる「しょっぱい」対応という意味の語。(出典:Weblio 辞書 )
比較的新しい言葉ですが、こんなにしっくりくる表現はありません。
母親としては、もっと外交的で、お洒落で、よく喋る娘が良かったようですが
私は無口で服に興味を持たず、家で本を読んでばかりいるタイプだったので
ガッカリしたのでしょうか。
そんな訳で、生まれ故郷には土地の言葉や食べ物、文化への思い入れはあっても
普段の思い出自体はあまりいい形で残っていないのです。
この先もっと歳を取ってから帰るとしても、それは兄弟や親戚に掛ける迷惑を
減らすためでしかありません。
私が日本の何処で生涯を終えても、弟を喪主にしないで
地元で簡単な葬儀と納骨を代行してくれるようなシステムがあったら
そういうものを利用して、最期まで好きな場所で暮らせれば…
などと思ってしまう、今日この頃です。
『毎日が発見ネット』の体験談コーナーで、連載中です。
お手隙の際にでもご覧いただけると幸いです。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました