ギャンブルには手を出すまい

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昨夜は睡眠が浅かった。
先輩からの電話の件が頭を離れなかったせいかもしれない。

先輩が1度パチンコ屋の列に並んでいたからと言って
そのせいで借金を作ったと思うのは早計だったのかも。

でも可能性がゼロとは言えない。

私自身はパチンコも競馬・競輪などの公営ギャンブルも
自分から進んでやったことはない。
元ダンナもそれだけはしないのが 取り柄といえば取り柄だった。

でも・・・私の父親はやっていた。
土地柄もあってかパチンコと競艇が好きで、ときどき行っていた。

そしてまだ保育園児だった私も軽トラの隣に乗せられ
周囲にボーリング場と畑しかないパチンコ屋に連れて行かれた。

店に着くと私は自動販売機でジュースを1本買ってもらい
玉を少し分けてもらって隣の台で一緒にパチンコを打っていた。
昔は法令が緩かったのか、田舎だったせいなのか
特に注意もされなかった。

その頃のパチンコの台は、玉のひとつひとつを
自分の指でバネをはじいて打つ方式。 

大抵は父親より先に負けてしまい、横で父親の台を眺めて終わったが
たまには私だけが大勝することもあった。

正直言って・・・パチンコは面白かった。
まだフィ―バーも何もない、チューリップが開くだけの台だけど
指の疲れも気にならない。

玉が出れば父親に褒められ、チョコを交換してもらい
帰りに母親とは来たことのない中華屋で食べるラーメンが美味しかった。

負けた時でも、助手席で(次こそは勝つ)と来週に心を馳せ・・・

父親が競艇に行くときは連れて行ってもらえないので
心の中で舌打ちしていた。

そんな週末がしばらく続いたある時、2人でパチンコから帰ると
母親が玄関に座り込んでいた。

母親は戸惑う私を

「おまえはあっちに行っとれ」

と部屋に追いやって、引き戸を閉めた。

その後、引き戸の向こうで両親は何十分も口論していた。
以降、口論は毎週繰り返されるようになる。

その頃には私にとって

「パチンコに行くと家が荒れる」

というのが染みついたのと同時に、だんだん物心がついて

「私が行くところじゃない、家で遊んでいた方がいい」

と思うようになったので、父親には付いて行かなくなった。
父親がギャンブルから足を洗うことはなかったけど。

その後、私は大人になって

「ギャンブルには決して近づかない」

と誓いを立てた。

だって、きっと面白いから。
子どもでも面白さが理解できるくらいに。

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