私の母は十年以上前に亡くなっています。
私にとっては少なからず毒親 と呼ばれる類の人でしたが、父が超猛毒だったので
ある程度大人になるまで母の毒には気付いていませんでした。
母親から叱責されるとき、よくこんな風に言われたのが耳に残っています。
「お前も、よそ飯食ってこい!」
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母は小学5年生の時、養女として実家を出されています。
母の父(私から見て祖父)は40代でアルコール中毒のために亡くなり
祖母としても苦渋の選択だったと思います。
母を引き取った養父母は商売をしていて、学校から帰ると夜遅くまで働かされたとのこと。
養父母にとって必要なのは、子どもではなく働き手だったのです。
そういう子どもがどんな扱いをされたかは推して知るべしでしょう。
働くことで一応お駄賃程度のものは貰っていた母は、貰った5円玉を紐に通して
大事にしまっていました。
肩幅より少し手を広げて「これくらいの紐」とやっていたので、40㎝くらいでしょうか。
その紐があと少しでいっぱいになりそうだったある時…
母が学校から帰ってきたら、誰もいません。
それどころか家も店も空っぽ。
仕事が上手くいかなくなった養父母は、母以外の全てを持って逃げていたのです。
大事に貯めていた5円玉貯金も無くなっていました。
途方に暮れていた母は通りがかった人に警察署に連れていってもらって
そこから実家に連絡を取ってもらい、戻ることができました。
生家といっても、里子に出されるくらいだから
その後も家族とはさほど上手くいっていなかったと聞いたような気がします。
母にとって自分が「不幸」の基準になっているのか
子どもの不幸には「その程度の事で」という思いが常にあったようで
5円玉貯金の話は事あるごとに引き合いに出され、正直うんざりしていました。
…ずっと意識に上ってこなかったのに、調子が悪いと、つい負の感情だの
思い出だのが甦ったりするようです。
古い話で、とっくに消化しきったと思っていたのですが。
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